Tuesday, November 20, 2007

止まってる。動いてる!だから見る。

えー先週は15日からWEB2.0EXPOに行ったり、内定者を集めてキャリア座談会を開いたりと東京で比較的長く滞在した週だった。キャリア座談会で得たことについては後日書きたいと思いまっす。

えと、急に、ほんと急に話は変わるけど、自分が車を運転してて信号が赤になる。停車する。そこに歩道で横断している中で異様な人(たとえば江頭2:50がタイツで歩いているとか)がいる場合どうしますか?

とりあえず見ますよね?

そこに目をつけたのがアメリカの南カリフォルニアの起業家。といっても大道芸ですが。
百聞は一見にしかず、まずは見て見て!




これはなるほど!と思った。費用対効果はともかくアテンションの意味では非常に賢いと思った。
昨今はなんでも広告にしちゃえ!ってことで強力なジェット水流によって汚れてる普通の道をきれいにして描く広告だとか、スーパーとかのショッピングカートのハンドル部にテキスト広告を入れるサービス(provided by 百式)とかが出てきてるけど、どれもどれくらいアテンションという意味においてインパクトがあるのか実感として湧いてこなかった。(まぁ実際には俺が気持ちを汲み取れないだけで需要はあるのかもしれない…)でも上に紹介したものは、

・大道芸人の彼らの心をくすぐる(みんなの注目の的になりたい!)動機と
・なにがなんでもうちの商品を見てもらいたい!と願う会社の動機が

共に上手にかみ合っている気がする。カリフォルニアから始まったこのベンチャーはすでにアトランタ、ラスベガスやワシントンD.Cなどにもその拠点を伸ばしてるという。様々なメディアから新しい「広告の形」として考えるいい例だと思う。

それにしてもこれ、まじでかっこいい。これでお金稼げるとか、俺もやってみたい。
出稿してみたい方、詳しく知りたい人はこちらまで。

Tuesday, November 13, 2007

猫の写真>猫と一緒に写ってる外人の女の子。

先日「西宮のそれええやんコンテスト」ってのがあって、それに応募してきた!
写メールをパシャっと撮って送って、それで応募作品がショッピングモール内に飾られてそこを通った一般客の投票によって順位が決まるというもの。えー正直、勝つ気満々でした。


僕は4つあるテーマの中の一つ、「ホッとする笑顔」というテーマに対しても応募したんだけど、そこでの有力はどう見ても僕のとった猫と一緒に写った外人の彼女よりも、構図もテーマも半ば強引に無視したような可愛い、ほんと可愛い猫の写真だった。パネルを見にきた人を観察してみる。やっぱり猫や赤ちゃんに目が行ってる。
・30代後半くらいの両親と小学生ほどの子供たち。
・カップルで見にきた高校生
・中学生の仲良しグループで来ていると思われる女の子達
よくよく考えてみる。こりゃ~勝てねーなーと思ってしまった。


何でもそうだけど、やっぱり何かを相手に伝えるときに、そこに一種の共感や歩み寄り、感情移入を引き起こそうと思ったら、その人が経験したり、体験したりした生活の中の「文脈」を理解する必要があった。今回票を最大数獲得するためのポイントは、

日曜日に家族連れやカップルで来ている「日本人」に対して、

写真そのものよりも、その写真からの連想によって引き起こされる、

「うんうん、あるよねー!そうそう。ホッとするわぁ。」という共感、

あるいは実感だった。それが票を獲得する打算的ではあるけれど、重要なポイントなのだったと思う。


猫と一緒に写っている外人の女の子がいくら美人だったり、可愛かったりしても、それは「へぇー」にはなっても見にきた人の文脈からは「ホッとする笑顔」にはなりえない、ましてやそれを見て自分がホッとする姿も想像できない。でも可愛い子猫がこっちを向いていたら、それは彼らの文脈の中で「あー可愛い!」、「ホッとするわぁ」という同意にかわる。もちろん撮った本人はそんなことは考えていなかったのかもしれないけれど。。。この場合は、撮ったその人の感性がナチュラルに見にきた人と同じレベルに達していた、と考えられる。

自分の思ってることをただ一方的に理解させようとするのではなく、相手の文脈に乗せる、自分の言葉を彼らがわかるように編みかえる行為、これはとっても大事だと思った。話は若干脱線するけど、就活の時に書くエントリーシートなんかもまさにこれと同じことが言えると思う。そしてこの相手に対してわかり易く「翻訳」することによって、かなりの割合でエントリーシートの突破は狙える。


結果は…たぶん待たずとも見えてるけれど、今回のコンテストは写真を撮って自分が楽しむ行為そのものよりも相手のことを「動かす」為のヒントとして役にたちました。


けれどもやっぱり僕は写真だけは、自分がファインダー越しに見えた風景とか構図を切り取ってその場を自分なりに再構成する、表現するということにこだわりたい。そこだけは不器用でも譲れないところ。あれ、成長してないんかな…。