拝啓 僕の止まらない興味本位様。
やばいです。ほんとにやばいです。
また僕の「やりたがり」に火が付きそうです。
しかも僕と中々縁が遠い、細い体で限りなく髪が短かったり、極端に長かったり、鬱になってリストカットに走ってしまったりする人がいるエクストリームな有象無象、そう「ファッション」です。
昨日パリのエスモード・パリを卒業して帰ってきた僕の友人と今日会ったんですが、もうそれに興奮しきりです。一つの制作物に対するフィロソフィや執念みたいなものが、僕が写真に魅せられて何時間も薄暗い暗室にこもっていた時の気持ちをくすぶってならないんです。
彼女は自身の中に「偶然性」と「リラックスしたシュールリアリズム」というコンセプトを持っていて、それで制作にとりかかっているわけですが、彼女がとりわけ大事にしているのが「あとは着る人がリラックスして着てくれたらそれでいい」というそのスタンスです。僕はそのスタンスがひどく気に入ってしまい、また「コンセプトをどうしても押しつけたいんなら、そのメッセージを書いたTシャツを作ればいい」とまで言い切る感じが小気味良いんです。
また、彼女はパーツが少ない服、つまり極力一枚の生地からできるものに挑戦してるわけなんですが、その服の中に例えばきれいなドレープがかかってる服があったとして、その服にドレープが12本入るように計算したりだとか、アームホールドが普通のものと逆についていたりするとか、細心のこだわりが入っていて、それが僕の「見えないけれどこだわってる」のが好きっていう感覚と似ていますし、何より単純にアームホールド→わかんない→そんなこだわりが!→おもしれぇ世界や!→ふむふむ「ほし止め」ってそういうことか→奥ふけぇ!もっと知りたい!っていうあほな好奇心ばかりが専攻してしまうんです。このままいくと完全に極太の腕が、アーティストがこだわって作った服にすそを通してしまうのも時間の問題です。はい、確かにその場合、パタンナーの計算された服の縫製を見事に打ち破ってしまうことになるんですが。。。よりいっそう服を真剣に見入る人になってしまいそうです。。。助けてください。
彼女の発言の中で、僕に今日一番響いた言葉、
「日本は失敗が許されないから怖い」
「…でも」
「海外はいくら失敗しても大丈夫な気がする。這い上がる力をくれる気がする」
彼女は全部イメージで捉えていると言ってたけど、これってものすごく大事な気がする。
「真剣にやるやつを、俺たちは笑わない」みたいなコピーの会社がどっかにあったと思うけど、その通りなんじゃないかな。
もちろんやる気なくて失敗するのは当たり前、でも真剣にやって失敗してもまたそこで挑戦しようと思えるか、それとも「ダサい」とか「やっぱり無理」という雰囲気にやられてそこで諦めてしまうか、ものすごく大きな差であると思う。
こんな雰囲気を変えれるやつになれたらいいな。そして絶対変えて行きたい。
なんか、みんな真剣とか、ありえないと思うけど、かなり素敵☆
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